みなさんは、日本全国に温泉(高温源泉)はおよそどのくらいあるとお考えでしょうか。
今回、私がお引き受けした「温泉調べ」の作業は、先ず、日本中の温泉の数を調べることから始まりました。
温泉の数が一番多い大分県を筆頭に、その数は一万二千九百余。全国四十七都道府県のうち徳島と沖縄を除いたすべての県に温泉があることが判りました。
そして、火山列島の国日本には、遠く神代の時代から温泉に浴する習わしがあったと伝えられています。
その当初は、谷間などで自然に湧き出た温泉を見つけ、これに浴した事から始まり、後には、それを浴槽に湛えて入浴した、これがやがて『湯屋』の起源に繋がっていったとされていますが、一方、鎌倉時代以降には、温泉の発する蒸気、あるいは湯を沸かして出てくる蒸気を、床を簀の子張りした湯殿に導いて蒸気浴をする日本式蒸気風呂が流行し、南北朝時代、室町時代、織田、豊臣、徳川時代の中頃まで盛んに行われた、これが『風呂屋』の起源とのことです。
今日では『湯屋』と『風呂屋』とは同じようなもののように思われていますが、徳川時代の中頃まで両者の間には、はっきりした区別がありました。正徳五年(1715)京都御役所覚書にそのことが記されています。
洛中(京の都の中)の
湯屋の数 七十一軒
鹽風呂の数 六軒
居風呂の数 三十五軒(単浴槽木製桶の蒸風呂)
釜風呂の数 八軒
洛外(京の都の郊外)の
湯屋の数 十三軒
愛宕郡八瀬村
竈風呂の数 十六軒
但し年により増減有之候
さてさて、右の覚書の中に「鹽風呂」「居風呂」「釜風呂」「竈風呂」といった四種類の風呂が登場してきました。
テルメ小川の窯風呂は、形式としては京都近郊八瀬村の竈風呂の系統に属するものと思われますので、八瀬の竈風呂に関する記述を再録してみましょう。
『八瀬の竈風呂は一口に謂えば炭を焼く窯で煙出しはない。炭焼口は二尺四方くらいの口であり、その中で火を焚く、多くは生木を焚く、火が燃えついたときに、その燃え殻を取り出し、その跡に鹽水を撒いたり、また鹽俵を敷いたりして、その炭釜の中に入って汗を出す浴法である。生木を焼いて出てくる一種の蒸気が何か科学的な作用を及ぼすもので、その中に入って居れば、いろいろの病気を治す効能があるというので大層流行した。
八瀬は京都から三里ばかりの所。都に近いこともあって非常に流行し、多少の盛衰はあったが、明治時代まで盛んに行われ、ある時は温泉場のように沢山の湯屋が出来て、そこへ行って治療するという有様であった。』・・・と。
この種の風呂が昔は各地にあったのでしょう。
例えば、四国の讃岐にあったという弘法大師の釜風呂。これは、小さい古墳の塚穴の様なもので、その中で火を炊き、充分熱したところへ水を注ぎ、入り口には蓆を垂れ、床には濡れ蓆を敷いて、その上に寝ていると体が蒸されて万病が治るというもの。
伊予の桜井にあった岩風呂は、巌窟を利用してその中で火を焚き、その火を引いて蒸気の中に入るというもので、夏の海水浴と共に用い、一夏入ればその年中風邪をひかないというもの。
安芸の宮島にあった石風呂。備後の庄原付近にあった岩風呂。更には、北の国青森にあった雁風呂(八瀬の竈風呂と同じ形式のもの)などなど往時を偲ばせる数々の伝承が残されています。
そうした、先人の知恵が生んだ遺産の一つである窯風呂が、千数百年の時空を超えて二十一世紀の今日、私たちの目の前(テルメ小川)に再現されているというこの事実は凄いことです。(この窯風呂再現の発案者はどなたなのでしょうか?)
ところが、テルメ小川の場合、凄いのはそれだけではありません。
極めて日本的な『風呂屋的要素』あり、『湯屋的要素』あり、と思えば、更には、蒸気で発汗を促すサウナあり、古代ローマの時代から受け継がれた蒸気浴のテルマリウムなど洋式発汗浴の設備あり、といった具合に、こと温浴に関する事象のすべてが一堂に集約されていて、来館者は選り取り見取り、居ながらにして世界の温浴メニューの中からお好みの恵を、お手軽にお楽しみいただけるというし至福の園。(もう一度お尋ねします。こんな楽園の発案者はどなたなのでしょうか?と)
とにかく、これは途轍もない事だという実感を今回の調査作業で教えていただきました。
日本脚本家連盟・日本放送作家協会会員
宇津木 元 (うつぎ はじめ) プロフィール
長野県生まれ
劇作家 阿木翁助の門下生
♢NHK・広告代理店鞄d通を舞台に、音声及び映像のシナリオライター&ディレクターとして活躍
♢国際教育映画コンクール・東欧圏映像コンクール・日本産業映画祭などで金賞・銀賞・特別賞受賞
♢著作物としては、人物史で綴った児童向け歴史副読本「明日を築いた人々」
自伝 Part(T)「昭和ヒトケタの青春」 “予科練卒業かつぎ屋一年生”など
| 戻る |